■考える型の教育への対策となる小論文



近年、詰め込み教育が批判されます。

誰もが、詰め込み教育は良くないといろいろな視点から声高に叫びます。
これに関する是非については、ここでは私は何も言いません。

では、《考える型の教育》って何でしょう?

ここが非常に混乱している部分なのです。大学の入試でも混乱しています。
単に覚えてきただけの人間を落とす試験を作ろうと思えば、ヒラメキが重要な問題を作ったり、
スピードを試したり、論理思考を試したりしてくるわけです。

たいていは、この3パターンが、考える型の生徒を取りたい場合に用意される試験です。

ただ・・・問題は世の中の動きです。
どういう方向に動いているのか?教育に対する考えが動いているのか・・・?という事です。

政府が重視するのは、人格教育よりもたいていは経済です。

日本が将来経済活動を行う際に、人材となる教育とはどのようなものであろうか?
と考えた時、どんな教育が必要か?

このようにたいていは考えられ、試験も設定されるでしょう。
重要なのは、現行の覚えていればほぼ100点の試験が次のようになるのではないかという事です。

(覚えていれば8割は取得できる試験と、論理思考、問題解決能力を試す2割の得点で構成される試験)

なぜか?


とりわけ21世紀の世界で経済界で人材となるのは、問題を解決する能力がある人材・・・
という事になります。

理由は世界の経済がボーダレスになってサービスやモノが世界規模で動くため。

そうすると、競争が日本国内だけではなく世界規模で起こります。
この時に日本が生き残る道はただ一つだと、経済界では言われています。

次世代の産業を作り出すという事です。今まで日本は世界の電気機器のメーカーとして機能してきましたが
世界の工場と呼ばれる中国などに世界のシェアを奪われてきているからです。

こういう世界ではどういう考え方をする人が必要か?
世界を代表する経済人である大前研一先生は


仮説、検証、論理思考、現象と真の原因を見分ける能力

このようなものが必要だと言っています。

小論文試験は、答えの無い時代に、有効な答えを指し記させる有効な試験です。

答えが合っていても、落とされる試験を理想とする試験の時代になってきているのではないかという事です。

日本はアメリカの後を追いかけるといわれていますが、アメリカでは答えそのものが正解でも評価されない場合があるそうです。

答え(数字)が合っているよりも、なぜそのような答えになるのかについて、論理的に、論陣を張り、説明できる能力。これが、現実の世界では重要だからだそうです。


たとえば現実の世界はどのようなものか?
大手流通グループのマネージャーになったとします。

ある日ドサリと机の上に資料が山積みされて、膨大なデータを手渡され、『この店の売り上げを上げろ』と一言だけ言われる・・・

これが現実の世界であり、答えはありません。多くのデータからより有効な答えを仮説と検証の論理思考から導き出す作業が必要になります。

このような力を養成するのが小論文試験でもあります。
だからこそ文部科学省も中学にこの学習を導入する事を決意したのでしょう。

時代の流れは少しずつ変わりつつあります。

以上の理由から、小論文試験は、今後の教育改革によって作り出される『考える型の教育』に対する大きな対抗策になるでしょう。

(小論文試験を課す大学や専門学校が近年増えているのは少子化と上記の理由からでしょう。)

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