次の文章は日米構造協議における書面である・・・
などという前置きで日本の役人が読む文章がそのまま出題されたり、
出題者はやりたい放題だといううわさもあるが、
ある年などは暗号を解読させるようなものまで出た。
まあどれくらいヒドイかというと、
あの東大の理3を卒業して医師になった有名な和田氏が著書の中で
高校生にいったい何を要求しているのか!と少し怒り気味だったほどである。
しかし、ある程度速読ができると、このテストは簡単かもしれない。
実はまったくヒドイものではない。
今のような情報大洪水社会で、日本のみならず、英語圏からも
バリバリと研究結果などを英語のまま吸収できる人間がほしいのだろう。
文章というのは、速く読めるだけでは意味がない。
速く読み、そして理解して、吸収し、記憶する、場合によっては
反論したり、討論する事ができる・・・
こういう状態が理想だ。
だからとにかく速く読めるというだけでは、意味があまりないかもしれない。
しかし・・・である。
速読とは本来理解を十分すぎるほどできる読み方ではない。
これは速読に関する一番多い誤解だ。
だから、多くの人が速読を疑っているのである。
では役にたたないのか?というとそうではない。
速読がもしできなかったら・・・と思うとぞっとする
速読ほど役にたつものは無い。
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