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【最後に記憶重視の学習に疑問を持たれた方の為に】



記憶力ばかり重視する学習は創造性が無いとか、子供に負担をかけるというような
論調があるが、そんなものに振り回される必要はない。

そもそも創造性とは何か?ゆとりとは何か?
【創造性について】
創造性とは、十分な記憶の引き出しがあって初めて生まれるものだ。
記憶に頼る人間が創造的な仕事ができるとは限らないのは確かだろう。
しかし、だからといって、ほとんど何も記憶していない人間が、創造的な仕事が
できる可能性はもっと低いのである。
〜アイディアとは既存のものの組み合わせである〜

という言葉があるが、今どのようなものがあり、どんな原理でそれが可能になっているか?という
ことに関して、十分な理解が無い人間が、最先端のアイディアなど生むことができるはずがない。

理屈を抜きにして、きちんと少なくとも記憶しておくことが前提なのである。

もし記憶する事がおっくうでそれをする事ができない人間ばかりを採用する研究機関があればそこは
だめになるだろう。

日本でもっとも有名な経営コンサルタントは、結果を出すために必要なのは
思考力だとは言わず、『適切な質問をする能力です』と言った。

しかし、考えるための適切な質問を、知識が無い人はできないのである。
考える事を重視する教育は重要だろう。

だが、だからといって、考える教育か、記憶重視の教育かという、
二者択一的な問題ではなく、両方をバランスよく含んだ教育が望ましいのでは
ないだろうか?

従って、いづれにしても記憶軽視の教育のあり方は【考える】という
実践的な現場では、望ましいとはとても言えない。

現実に結果を出している経営コンサルの言葉を無視して、十分なデータもない理論
だけで教育のあり方を前例のない【考える型教育】に全面的に変更するのは危険だ。
(詰め込み→考える)

インドで成功している教育も理数系重視の詰め込み教育である側面が大きい事
も無視できない。掛け算の九九は、99×99まで丸暗記であり、数学の法則や
公式、定理、などは完全に記憶している。彼らは理数系の暗記エキスパートである
事を忘れてはならない。
それと
同時に考える事が評価される教育が大学終了まで一貫して国家戦略としてあり、
それがIT時代の商品開発に合致したからこそ栄華を極めているのである。
うわべだけ猿真似をして、20年後に成人する子供に成果があるかは疑問だ。
20年後は、その時代に合った人材が活躍する舞台のはずであり、実利面を重視
するなら、それに応じた人材育成法(日本に合った)があるはずだ。

人間というのは弱いもので、何かがうまくいかなくなったり問題が起こった時、
今のやり方がまずいのだ!と結論を急いでしまう。
日本は勤勉だから成功したと世界中から賞賛された事すら忘れてしまうのである。

しかし、何かがうまくいかない時、
原因は大きく二つある。やり方にある場合と環境にある場合である。
周りの世界が変化したのだ。
やり方ばかりに目がいき、エネルギーを使えば、環境に適応する事ができなくなってしまう。
例えば、日本がどんなにもがいても中国やインドの力は大きくなるなら問題は起こり続けて解決しないだろう。殺人も起こる。
日本以上に中国や韓国、他の国も教育に力を注ぐかもしれない。
何かうまくいかない時、2次元的に狭い視野で物を見て、『とにかく教育のやり方が間違っていた』とコロコロスタンスを
変えるよりも、3次元、4次元的に、長期的に物を見て、環境に即座に対応し、予測し、うまく適応する事こそが起こっている問題を解決する為には肝要だ。























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