英語の長文なんて・・言い方をするが、本来長文があたりまえで
本を一冊辞書無しで読みきるのがあたりまえでなければならない。

日本の英語の授業は、翻訳作業が中心で、まるで翻訳家の養成学校
のようになっているが、翻訳の能力をつけるのは、英語の能力をつ
けるだけよりも何倍も大変な作業なのである。

それにも関わらず、いばらの道を生徒に歩ませるような授業になっている。

だから多くの生徒が英語で苦労するのだ。

ちなみに私は英語教育を小学校の段階で導入する事に賛成だ。

理由は、英語の学習は特に、時間よりも、期間の方が重要な要素
となりやすいからである。

勉強時間ではなく、体験期間だ。

ちょっと意味が分からないかもしれないが、ココが記憶という
ものの面白い特性なのである

英語の実力は必ずしも、勉強時間に正比例しない。

覚えても忘れるからである。

(記憶は覚えるという一過性の作業ではなく、忘れていく中で記憶
量を伸ばすというゲームであることを忘れてはならない)


そして、だからこそ英語は勉強してはならないと言われる事がある
とも言える。

しかし、このように期間が大切だという主張には重要な条件がある。



                                         次へススム