相手は、超一流のインテリ。こういう人を相手に、たかが1000字程度の文章で、何かについて意見を変えるのは実はめちゃくちゃに難しい。

そこで・・・こういう人にアピールするには、他の手法が必要になる。でも多くの人は、議論に勝つ様に論理的に書こうとするでしょ?

それがそもそもの間違い。

いいか?ここは大切なところだ。絶対に聞き漏らしちゃいけない。


議論には勝てない。
(ぶっちゃけ書けないと思っていい。)

自分で良く書けたとか、うっとりする程度の文章では、少なくともその分野の一流の人間が、書いた本を何百冊
も読んでいるような人の意見を変える事はかなり難しい。


ふう、言っちゃった〜。本音。


本には書けないんだなぁ。こういう事は。インターネットの文化
とか、メルマガの文化とか、表現するには、いろいろな制限があるから書けないんだ。私牛山が死んでも本は世の中に残るからね。言ってもいい事と言ってはいけない事がある。

これと同じように、教材の中では一番言いにくい事を私は
言っている。はっきりとね。

でも、議論に勝つように書くと、落ちる可能性があるんなら
いったいどういう風に書けばいいんだろうか?

答えは、議論に勝つ様にではなく、議論の精神を学んで、正しい議論をするように書けばいい。

議論の力をつけるという事だ。
相手を打ち負かそうとする姿勢は、議論の為の議論。
意味が分からない?

議論って何でするのかを考えてみれば分かる。
まだ若いと議論をすることはあまりないかもしれない。

議論というのは、なんらかの解決の為に確実性の高い推論を披露するものだ。
こういう場では、最終的には、相手をやりこめる事を目的とするのではなく、
協調できる関係を築く力がなければならない。

こういう文章を書けば、非常に減点されにくい。
そしてそれだけではなく、高い評価を受け易い。

文章は、どんな方向にでも書く事ができるから、こういう微妙な
方向や心構えが大きく点数に関係してくる。

だから、点数を取りたかったら、議論に勝つ様に書くのではなく、
相手に納得してもらえるように書くと簡単に覚えておこう。
(本当はもっと深い話なんだけど、ここで長々と説明するのはよそう)

もしこういう本質的なところが分かっていなかったら、私自身も
合格できなかったのではないかと考えている。

少なくとも、合格を確信して試験会場から出る事はできなかった
だろう。
正解が分かると、合格を確信できる。正解が分かると、合格できる。
正解が分かると、合格答案を作る事ができる。

全部当たり前のことだ。しかし、多くの場合、小論文には正解と
言える書き方、内容が無いと思われている。

驚くべきことである。


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