※ハーバード大学の幸福に関する研究結果に基づいての主張です。人間には純粋な楽しみと、
目標を達成した時の充実感の二つの幸福が、大きく分けた場合にあると言われています。
もしかすると、この自動記憶勉強法を(けしからん)と思われた方もいるかもしれませんし、 牛山はいいかげんな気持ちでこのような記憶方法を世に出したと思っている方 もいるかもしれません。 しかしそれは誤解です。(本を読んだ人は全てが分かります。) 誤解だと言う理由は大きく3つあります。 まず極めて重要な事は、世間では多くの場合知られていませんが、人間はがんばる事ができない事が、脳の構造上あるからです。自立心があり、自分を律する力に優れた聡明な大人が何人もダイエットに成功しないのも同じ理由です。 このような環境に原因があります。これを決定論と学術的には言います。 人生が決定されているというのはあまりにもばかばかしく感じるかもしれません。 インターネットで検索して調べてみてください。決定論に関していろいろな記事が出てくるはずです。 それでは私達はただ指をくわえて、自分の人生に対処できないのでしょうか?答えは、何も知らなければ、イエスであり 同時にノーでもあります。 スペースの関係で詳しくは書けませんがつまりこういう事です。 このような困った問題に対処する解決策の一つがこの自動記憶勉強法であるという事です。 『がんばれば、結果はどうでもいい。』このように言う事は簡単ですが、多くの方は幸せになる為に結果を望みます。 試験に関して言えば、結果を出すには、圧倒的に記憶する必要があります。それを現実にするのが この自動記憶勉強法なのです。がんばる人も結果を望む人も私は応援します。 2つ目の理由は、この自動記憶勉強法は、単に記憶作業を助けるだけのものだからです。 私は、『記憶作業』と、『人生を通して何かを追求する勉強』を分けて考えています。 つまり、中立の立場という事です。 もし仮に、誰かが記憶作業で苦しんでいたとして、その記憶作業を効率よくしたり、もっと効果の高いものにしたり、 苦しみをとったりする事が、不謹慎であるならば、この自動記憶以外のすべての勉強方法は悪という事になってしまいます。 最初は本のタイトルは、 あそびながらほったらかしで記憶するというものでした。 私は本のタイトルに『何かをがんばりながら』という文言を入れてくださいと強く出版社様に要求しました。 (基本的にはタイトルというのは著者はつけれない事が多いのです。快く応じてくださいました。) このように強く要求した理由は単に遊びながら勉強をするというのではなく、逆に何かをがんばりながら、 勉強をする事もできる勉強法だからです。仕事から帰って疲れた体でも家族の為に勉強をがんばるお父さんにさらにがんばれとは、とても言えません。 私は基本的には楽しく記憶するという人も、何かをがんばるのに使いたいという人も応援する 中立の立場を取っています。 (記憶作業は楽をして、うまく適当にやってしまえばいい)とはほんの少しも思っていませんが、逆に楽をしたり、肩の力を 抜いてはいけないとも思っていません。世の中にはノイローゼになるほどのプレッシャーに押しつぶされそうになっていても、 勉強に励む方はたくさんいるのですから。 3つ目の誤解だと言う理由は、私自身が苦しんだ経験から、同じように困る人を助ける理念があるからです。 私自身が、かつて苦労したからこそ生まれた記憶法です。 勉強など楽をすればいいとも思っていませんし、いいかげんな気持ちでも 公開していません。 ■勉強時間が無くて苦しむ(生活をするのがやっとの人は、勉強時間を確保できません) ■勉強が苦手で苦しむ (勉強は難しいとか自分はバカなどの先入観を持って悲観している人もいます) このような苦しみを和らげる目的がこの自動記憶勉強法にはあります。確かに楽はできますが、 (何もかも100%楽をすればいいんだ)とは思っていません。時には肩の力を抜く事は大切だと考えています。
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●そんな事ができるわけがない!と感じた方はこちら (日常で起こることをシステマチックにこなすだけです。)
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