子供を確実に慶應大学に合格させる方法:無料ウェブ

 

はじめに第1章第2章第3章第4章・第5章第6章第7章第8章第9章第10章最後に

 

V 勘違いされている対策可能性

 

(1) 問題の難易度と合格しにくさは比例しない
 慶應大学は進学しにくいと多くの人は考えている。統計的に見れば、合格率は15〜20%程度であり、母集団のレベルも比較的高いため、合格は確かに難しい。しかしながら、対策次第で合格率を大きく引き上げることができる。あなたは(そんなことがあるはずがない!)と思うかもしれないが、戦略的に対策をすれば、十分にこのような現象は起こり得る。

  戦略というのは、響きがどこかしらかっこいいのか、安易に使われがちな言葉である。私自身、世界一と言われるマッキンゼー流の戦略論を大学院で学びMBAを取得したが、その際にもマッキンゼー出身のOBは戦略という言葉を安易に使わず、「軸足と取組」という言葉を用いていた。

 

(2) 難しさを一般化することの無意味さ(センスがある人間が合格しやすい)
 慶應大学は難しいとか、京都大学は難しいとか、東京大学が難しいということはよく言われることだが、何が難しいのかについて語られることはあまりない。何が難しいのかについては、序列づけして考えたいと思う人は多い為、ランキング形式で難しさを一般化したい人は多い。上から順番に偏差値でランキングをつけるなど、この手のランキングに大きな関心がある人も多い。このような現象は逆手に取ることが大切だ。

  難しさは一般化してもあまり意味が無い。音大と美大とIT系の大学を比べて難易度を比較することにあまり意味が無いように、質的に違うものを比べても、比較はできない。気持ちの上で比べたいのは仕方がないが、その手の議論に参加すると、どうすれば受かりやすいかという戦略が無くなる。中国海軍とアメリカ空軍の力を比較するようなもので、数値化されて序列化されただけのものをみても、実際に戦闘状態になった時にどのような対策と戦略で、どうやるのかという肝心要の情報が手に入らないのである。

  このような仕組みは、後にこのウェブブックで述べる「真っ先に不合格になる人」の判断ミスと直結する部分である。単に難しいとか、簡単だと考えてみても、何をどうやれば合格するのかということは分からない。偏差値が高い学部や大学が好きな人はこの類の判断ミスが原因で不合格になることが多い。保護者も同様である。子供の教育を戦略不足で誤るのである。

 

(3) 英語は必ず攻略できる
 英語は必ず攻略できる科目だ。英語は日本一学習アプローチが氾濫しており、多くの人は何をやればいいのかについて頭が混乱している。相当頭が切れる頭脳明晰な人でも、これは例外ではないようである。情報が多すぎて、皆が間違っていると言い合っているので、情報の受け手はなおさら混乱する。「試験の英語」については結論から言えば記憶量を増やし、解答力をつければ必ずできるようになる科目である。まずこの原理原則から考えることが大切だ。このような考え方は問題解決の考え方である。この手法で指導することで、弊社では、二度日本一になるなどの際立った成果を出してきた。慶應大学に合格するのは当たり前だし、一年で合格するのも当たり前のことである。半年で合格することもあれば、10日で合格することすらある。このような事例がなぜマジックのように起きるのかは、慶應大学が用意する配点や小論文試験という受験の特異性にある。他の大学では起きにくい現象だ。

 

(4) 小論文は教える人を間違えず謙虚なら必ず伸びる
 慶應受験を難しくしている大きな理由は、文系については小論文試験の配点が極めて大きい為である。ここまで小論文試験を重視する大学はあまりない。正規の学力よりも考える力を高く評価する慶應大学の姿勢が表れている。

  ところで、この小論文という科目は、大きくその人のセンスに依存している。昔の学校時代を思い出してほしい。サッカーや野球の練習をしたことがないのに、何をやっても運動神経の良さから高いパフォーマンスを発揮する学生がいたはずだ。このような運動神経に似た思考のセンスが小論文には大きくかかわっている。したがってセンスのある人は何もせずともある程度できるし、センスのない人はがんばってもなかなか伸びない。

  それではセンスがある人間でなければ慶應大学には合格できないのかと言えば、そんなことはない。センスがなくとも、たくさん慶應大学に私は合格してもらっている。その理由は、スキルギャップを埋めることにある。センス以外で、技術力の差を埋めるのはスキルである。確かに運動センスがある人には、サッカーや剣道で勝つのは難しいかもしれないが、訓練を積めば勝てるようになる。

  ただしここで条件がある。素直でなければなかなか伸びないということである。大事なことは何を教えてもらうかではない。どれだけ吸収できるかだ。ここで大きな勘違いがあるのは教えての心理操作やテクニックで、教えられる方がグングンやる気を出すというものである。現実にはそういう部分もわずかにあるが、逆説的だがそういう意識がある時点で、他者に依存したマインドになっており、多くのケースではこういう人はあまりうまくいかない。特殊な事例を一般化してなんでも特殊な事例のようにうまくいくわけではない。

  成果は「教える側」と「教えられる側」の共同作業で決まる。したがって謙虚な人はグングン成績が伸びる。全国10位以内などの際立った事例は多くの場合、素直な人から生まれている。半年で偏差値を数十上げるのは、実は全く珍しい事例ではなく、頻繁に起こる事例である。

  ※ここで述べている「素直な人」とは、信頼関係があり、指導に対して心理的な反発が少ない人である。

 

(5) 失敗のパターンは、すべからく判断ミスになっている
   なぜ多くの人は失敗してしまうのだろうか。その多くは判断ミスに原因がある。判断を間違えば、対策は空回りする。戦略があるか無いかも、判断で決まる。どのようにやる気を引き上げるべきかも、判断による。英語の学習方法も小論文の学習法も、併願によりどのように合格率を引き上げるかも、選ぶべき塾も、どの科目をいつやるかも、どのように学習するかも、すべては判断だ。

  多くの人は、合格数や有名なものに弱く、判断を外部に丸投げしてしまうことが多い。合格数や有名なものならば安心というのは典型的な判断ミスだ。相関関係は因果関係を含まないからである。有名ならば良い指導をしているという根拠はなく、合格しているから安心というのも論理的にはおかしい。このようなご判断を学術的には代表性ヒューリスティックと言う。私は大学院で思考力の研究をしており、特にこの判断については詳しい。

 

















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