はじめに・第1章・第2章・第3章・第4章・第5章・第6章・第7章・第8章・第9章・第10章・最後に [ やる気の構造 (1) やる気・努力・根性などと考えずともよい やる気の問題は、努力や根性と考えなくてもいい。努力、根性ではなく、エネルギーがあるかないかで考える。したがって好きこそものの上手なれというように、単に好きな状態でも、エネルギーがあるため、理想的なやる気の状態が作られているとも表現できる。 (2) やる気は出させてもらうものではない やる気は、自分で出すものである。逆説的だが、(あなたがやる気を出してくれるんですよね)という人はやる気が出にくい。こういう時にひっぱたくように性根を叩き直すのは、塾の教師ではなく、親の仕事である。(もちろん暴力はあってはならない。あくまでも分かりやすく伝えるための比喩であることはご了解いただきたい。) (3) 自分がやるという自立心 自分がやる気を出すことも含めて、必ずやるというのが、自立心である。どこかに甘えがあると、助けてもらおう、優しい言葉をかけてもらえるのではないか、などと考えてしまう。(君が悪いのではないんだよ)というのは、一見すると優しく聞こえるが、本当の優しさとは限らない。自立心を削ぐ大きなデメリットがあるからだ。 むしろ「いささか適当な助言」と言えよう。その子の将来がどうなってもいいのであれば、(そうだね、君は悪くないね、悪いのは周りの大人達なんだよ)と適当にあしらえば、本人は満面の笑みで満足するだろう。しかし問題は、教育関係者がそれをやりたいかどうかである。私はやりたくない。 まず、塾経営の経験から言えば、甘やかされた考えを持つ子は真っ先に難関試験に不合格になる。そしてその時に涙を流して悲しむ。母親と子供が涙を流して抱き合って自殺まで考えているという話を聞いたこともある。満足は一時のものである。そして、その後不合格となり、第三希望の定員割れした大学に進学し、ずっとコンプレックスを感じながら不満足な大学生活を送り、その後社会に出てもその引け目をずっと感じて生きていく人も多いのである。 さらに、ずっと甘やかされて育った人間は、(そうだ自分が悪くないんだ)などと考えて育つ。しかし一歩社会に出れば、突然責任を取らされる。そして、突然結果を出せと要求される。責任をずっと回避することに慣れ続けても社会では責任を放棄することは許されない。自分が取ることができる責任の量に比例して、社会では豊かになることもできれば、人に価値を伝えることができる。多くの若者は、モラトリアムと言われる期間が延長されることを望む。ずっと保護下であり続け、その中で快適な暮らしをすることに慣れると、その期間が延長される選択肢を取ろうとする。そのモラトリアムを与え続けるかどうかは、親のあなたが決めることだ。 (4) マインド(上向きのコップ) 受けた助言をスッと心に落とし込むことができる状態が大切だ。そういった状況があれば、教える側のアドバイスが空回りすることがほぼ無くなる。その反対に、助言が空回りする状態が、素直に助言を受け入れられない状態である。このことをある有名な教師は、コップが下向きの状態と表現した。 ・コップが上向き・・・素直な状態 ・コップが下向き・・・素直になりきれない 私たちの仕事は、コップが上向きになるように接するように努力することである。原理的には結果は教える側と、教えられる側の共同作業で決まる。 (5) 感謝することで心のバランスを人間はとることができる ここまで述べたように、人は多くの場合、感謝することで心のバランスを取る。物事の良い面を見るのは、ありがたいという気持ちがあるときだ。その反対に物事の悪い側面ばかりを見てしまうのは、感謝の気持ちが薄れている時である。食事ができることや、学ぶことができること、生きることができることに感謝するのは、実体がどうかではなく、心の在り方の問題である。感謝の気持ちを持つ人は逆境にも強い為、少しのことではへこたれない。 (6)メリット以外の動機が重要 やる気を持続するには、メリット以外の動機がある方がいい。自分にとってのメリットしか感じることができなければ、メリットがあれば勉強し、メリットが無ければやらないという感覚に陥る。メリット以外のものに価値を感じるようになるには、そういう考え方が大切だという教育を受けていることが望ましい。「得になることをやれ」と教わりすぎた若者は、志や義憤といった社会的感覚が希薄になることも珍しくは無い。その場合、リスクや努力を避けるようになりやすい。当然慶應大学などのそれなりに努力を必要とする入試に適応できなくなりやすい。 ディジシステム HOME |
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